ギャラ間からの警告

 現在ギャラリー間で開催されている建築展「アジアの日常から:変容する世界での可能性を求めて」に先立って行われたシンポジウムに参加したので、その感想を少し。展覧会ではタイ、シンガポールベトナム、日本、中国から1組ずつ、計5組の建築家がそれぞれの作品を、作品のみでなく土地や空気ごと表現しようと試みられている。シンポジウムを通して感じたことは、この展覧会は単に“未来”とか“希望”のような明るいワードを示すものではなく、むしろ日本人に対する“警告”を訴えるものではないのかということだ。

 5組の建築家に対する個人的な解釈をまず述べると、タイのChatpong CHUENRUDEEMOLはバンコクにおける美醜、特に誰にも見向きもされないようなものに目を向け、それを“受け継ぐ”ことで都市に対する親和性を持たせながら閉じていたものを開いていく。つまり恣意性を持たないリサーチによって、今あるもので建築と都市との関係性を再構築しようとする。シンガポールのLING Haoは都市化の陰に隠れた、本来身近であった人間と自然との関係を建築を媒介に繋ぎ、それによって日々の暮らしと建築と都市と自然を結ぶ豊かな生活を考えている。ベトナムのVO Trong Nghiaは都市にあふれた身近な問題を地球規模で捉え、その上でひとつの建築に何が出来るか、という題と切実に向き合っている。日本のo+hは経験という、個人の感覚に基づくものを足がかりに建築を組み立てようとすることで建築と人々の関係を考察している。中国大理のYang CHAOは昔から続く手法や慣習を意味的に解釈し、選択的に判断することで建築の普遍性を問おうとしている。

 国家規模、あるいは地球規模で起こっている大きな問題を如何に自分に身近なレベルにまで落とし込めるか。逆に言うと身の回りのことからどこまで射程を拡げて考えられるか。物事をどう見るかということはそれとどう関わっていくのかということでもある。今回の出品作の内、日本以外の4カ国の作品からは近年の情報や技術の急速な進歩を背景に国際性と土着性、近景と遠景を併せ持ったような視野の広さを感じた。都市と建築が相互に影響し合うことを考えると、今後彼らの都市はどんどん個性的な発展を遂げてゆくだろう。なら日本はどうか。ひとつの建築が社会や、世界とつながっていくような意識はあるのか、自分たちがどのような立ち位置から物を見て、関わっていくのか。現在を批評的に捉えて初めて将来を模索することが出来ると考えれば、飛躍的に、かつ着実に発展していく近隣諸国から学ぶことは非常に多い。