日本一有名な廃墟

  • 広島の原爆ドームは、文字通り原爆が炸裂した瞬間を現していて、結果としてものすごく力を持った存在になっている。少なくとも僕にはそう見えた。丹下健三のピースセンターや公園、モニュメントが作る軸線は、広島という都市を支えながら同時にひとつの廃墟に収束していく。

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原爆ドームは日本一有名な廃墟だと言っても差し支えないだろう。小中高の、恐らくどの社会の教科書にも載ってるし、戦後70年の今でも年に数回はテレビや新聞で見てる気がする。しかも僕たちは、その形だけではなくそれがどのようにして生まれた(建物が建てられたことではなく今の姿になったこと)のかも知っている。すると、いざ現地を訪れて実物を目の当たりにするとその知識はひとりでに浮かび上がってくる。1945年8月6日のまさにその時(と僕らがイメージする映像)をその建物の中に閉じ込めていて、目にした瞬間にそれは時間を超えた存在になる。廃墟は、時間の流れとは無関係に存在できるのだ。

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原爆ドームはもともと広島県物産陳列館という名前で、経済の発展を背景に製品開発や販路拡大の拠点として作られた。ところが現在はそんな使われ方は一切されていない。多くの場合建物を考える時は、目的があって、それを達成するために部分が作られていく。例えば明るい部屋のために大きな窓がつけられたりとか。けれどなにかのきっかけでその目的が失われると、そこにはただ建物だけが残る。光をたくさん採るための大きな窓ではなくて、ただ大きな窓がそこにあるだけだ。人に使われることを目的に生まれたものが人に使われなくなる。その意味で廃墟は何かのための建物ではない、建築でしかない建築になる。本来建築にとっての主体は人間であるが、その人間がただ見ることでしかその建築に関われなくなる。建築と人の力関係は逆転する。

 

ルイス・カーンの言葉に「建物の用途が消費され、廃墟になるとき、原初の驚異がふたたび甦ります。廃墟はからみつく、つる草を気持ちよく受け入れ、ふたたび精神の高揚を取り戻し、苦役から解放されます。」というものがある。丹下はその廃墟の力をもって広島をよみがえらせようとしたに違いない。作られた意図とその使われ方にずれが生じる時、建築は意味を失う。その無意味性は時間の流れから建築を守り、悠久を与えるのだろう。